丸山さんのソロ曲『ヒカリ』が好きすぎて、何度も聴いているうちに、ありがちだけど歌詞の考察がしたくなってきてしまいました。
ストレートに内容を歌っている曲じゃないと思うので、ね。
箱推しの私なんかより、丸山さんの妻たちがとっくにやっているだろうと思いながら、軽く検索かけてみたら、なるほど!な考察を見つけてしまいました。
あまりに納得で、ああ、もうこれじゃん?と思ったんだけど、私が聴いて感じた物も残してみようかなと。
丸山さんって、起こった事を咀嚼するのに時間がかかる印象なんですよね。
私もそうなんですが、何か事が起きたとき、ビックリしてしまって、それが実際どういう結果をもたらすとか、それを防ぐためにどうしたら良いのかとか、一瞬で判断できるタイプではないというか。
何か事の起きた時、素早い判断ができない事によって、本当はこうしたかった、こうすれば良かった、と、それができなかった自分にもどかしい気持ちを持ってしまう。
そういう私の思い込みがあって、の、感想です、という前提で。
『別れは稲妻だ』というサビのフレーズが、音も含めてすごく好きです。
これは何の事を言っているのだろうと考えた時、すぐに閃いたのは、渋谷さんがグループから抜けた時の事でした。
5人の記者会見でフワフワと笑っていた丸山さんの印象が強くて、これはきっとまだちゃんと理解できてないなと感じました。
『戸惑いを誤魔化して笑』っていたのかもしれません。
丸山さんの中でしばらく時間が経ってから、脱退を【別れ】として実態を伴って理解した後、錦戸さん、ジャニーさんと、続けざまに起きた度重なる別れという物が、稲妻に打たれたかのように一瞬で自分との繋がりを裂く、これがこの曲のテーマとしてまずあったのではないかと想像しました。
稲妻(別れ)の対比としての、涙を流す事によって少しずつ救われていく気持ち=ヒカリ、なのかな。
ヒカリの方を題名にしたのは、テーマとして希望の方が良いと思ったから、とか。
ここに来て、丸山さんが渋谷さんと歌った『道』を思い出しました。
この曲も、二人のパブリックイメージとは違う曲だなと感じた事も思い出しました。
作詞は渋谷さんと丸山さんです。
冒頭は恐らく、渋谷さんが東京に出てきて一人暮らしを始めた時の事。
そして
『あの頃の僕、今、ここには居ないよ どうしてだろう幸せだな』
『ずっと続く道、これからも変わらずに 同じことで笑っていよう』
『僕』(渋谷さん)は『君』(丸山さん)の笑う顔をみていたいから、笑う声を聞いていたいから、『いつまでも ここにいるよ。』と歌っていたのは2014年でした。
『ヒカリ』が、もしもこの『道』から繋がる歌だったとしたら?
(赤い)彼はいつまでもここにいるという、みじかい夢に溺れていた?
(白い=グループに属さない)裏側に気づかなかった?
いばらの蔦に絡まった私たち=5人? 帰り道=この先の道?解散という手段?
まさに血の滲むような思いで作り上げたステージが、抱えている嫌な気持ちを忘れさせてくれるだろうという期待?
橙の浜に打ち上げられているのはオレンジの人で、青や黒もあるいはそういう事で、紫と緑が無いのは敢えて、か、どこかに何かが隠されているのか。
もちろん説明のつかないような部分がいくつもあるのですが、そういう付随するわからない言葉たちは、言葉遊びだったり、私には理解できない何かだったり?
と、自分勝手に妄想は広がります。
『甘い夢見たくて苦い薬探すから 美味しかった現在(いま)をまた壊してしまう』
ここのフレーズも、私が思っている丸山さん像を如実に現している気がしてとても好き。
歌詞も、曲も、ピアノや弦の伴奏も、総じて全部大好きなんですが、多分一番好きなのは歌い方じゃないかと思っていて。
『ここに』で急に現れた、丸山さんの、気持ちが込められた歌い方がすごく好きで。
考察でもなんでもなく、ただ丸山さんへの愛を語る、みたいになってしまいました。
いやでもね、『ヒカリ』を聴いたらね、こうなってしまったんですから仕方ない。
久しぶりに長々と語りました。だいぶオレンジ寄りになってきましたね。(笑)
ところで今急に気づいたんですが、この稲妻と稲妻ブルースとは関係無いですよね?
そして、レミダンにも光って歌詞があるのは関係ないですよね?
(ちなみに凛にも光がありますけど)
アルバムのコンセプトが稲妻と光だったりしません?よね?(ただの思い付きですw)